境内案内

清水槻

この槻の歴史は文応元年(1260年)に当社が創建された時に、既に高さ16m、根周り12mで、枝葉は36m四方を覆う大木であったと言い伝えられております。
以前は、槻の根本から水が湧き出ており、その事が「清水槻」と呼ばれる所以です。またその湧水は霊水であったとされ、その湧水により病に苦しむ人間が回復したとの逸話も残されております。
大正3年に根幹に大きな空洞ができ枝葉が枯れた為に、2mを残し切り株のみとなっておりますが、現在も当社の御神木として大切にされております。

芭蕉の句碑

文政9年(1826年)橘元良社中一同によって建立された芭蕉句碑です。

川上と この川下や 月の友

松尾芭蕉が46歳で「奥の細道」を旅してから6年後に詠んだ句といわれ、「続猿蓑」に集録されています。芭蕉は元禄2年(1689年)の奥の細道の旅の途中、石巻から登米に向かう折に、鹿又を通過したとされております。

川村孫兵衛の版画

川村重吉(川村孫兵衛)は、元和2年(1616年)から寛永3年(1626年)に伊達政宗に北上川の治水工事を任された仙台藩士です。この工事により、仙台藩の石高は大きく向上し陸奥北部との海運も発達しました。
当社貯蔵のこの版画は川村孫兵衛が工事の監督をしているところを書いたもので、川村孫兵衛や北上川の歴史を知る上で貴重な資料となっております。

このページの先頭へ